2017年3月1日水曜日

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ ~秋元~

皆さんこんにちは!アシスタントアドバイザーの秋元です!

僕は大学3年生なので(公式には)明日解禁される就活に戦々恐々としています笑

大学に入学したのなんてついこの間の出来事のように感じるのにもう3年が経とうとしているんですね、、、
時が経つのはホントに早いです。time is money、思い立ったが吉日ということをこの歳でヒシヒシと感じます。


さて!今回のタイトルはなんだか厨二病くさいですね笑

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

これはヘーゲルの著書である『法の哲学』の序文にある言葉です。

もともとの意味は哲学の本質を記述したもので、哲学というものは時代精神を、人が見ることが出来ないものを、過ぎ去ってから目に見えるように取りまとめたものであり、ミネルヴァの梟、つまり哲学は、黄昏=時代の終わりになって初めて形成され、現れるものであるということです。

哲学者は預言者ではありませんから、未来のことは分かりません。それを論じることも出来ません。
哲学は、今あるか、過ぎ去った時代精神を、後から概念に取りまとめ、それを人に目に見える形で示すことしかできないという事です。


長々と書きましたが、ここから転じて、物事の姿や形、本質はその物事が成熟して(終わりに近づいて)初めてわかる。というのがこの言葉の大事なところです。

皆さんはどんな高校生活を送りましたか?楽しい高校生活を送れた人、悔しい思いをした人、色々いると思います。

しかし、その高校生活という括りにおいてそれらの感想は終わってから初めて生じます。

途中にどんなに辛くて投げ出したいことがあったとしても、最後に報われれば良い高校生活だったと言えるかもしれません。逆もまた然りです。

受験も同じです。途中どんなに辛くとも、合格すれば報われます。模試でどんなにいい点数を取っていても、不合格だと悔しいし、胸を張って受験成功だったということがなかなかできません。

しかし何事も、やり切らなければ悔しい思いすら生まれません

それはなぜか?
ミネルヴァの梟が飛び立つのは黄昏時にだからです。

今の3年生は高校生活という視点での梟は既に飛び立ってしまいました。しかし、これから大学生、社会人となるに従って、その時々の区切りがどのようなものであったかは、終わった時に初めてわかります。
物事を投げ出さずに、最後までやりきることは本当に大事です。
3生の皆さんは受験というゴールを超えて物事を最後までやり切る力を得たと思います。

僕も大学生活という区切りが終わりに近づいていますが、いまだいい大学生活だったのか、悪い大学生活だったのかなんとも言えません(授業をサボりまくっていたので一般的には悪しき大学生活の象徴といえますね笑)

今の1,2年生は高校生活が終わった時にどんな感想を持つでしょうか。
受験勉強が辛くとも、一度始めたからには最後までやり切りましょう。
そして、黄昏時に僕たち(妙典校のスタッフ)と喜びを分かち合えることをお待ちしています。